6月の理事長通信。今月は、疑うことも重要であることをお伝えいたします。
事例は高齢者ケアでのものとなりますが、そこから伝えたいメッセージは、保育園の先生、その他職種の職員の方、全職員に関係することです。誤解のないため先にお伝えいたします。
日々、皆様はご利用者様と一生懸命に向き合っていただいています。その結果、心地よいケアの提供につながること、改めて感謝いたします。
そんな日々の中で、ご利用者様から、感謝の言葉をいただくと思います。例えば、お風呂で湯船に入る移乗の時、出る時、身体を拭いてくれた時、髪を乾かしてくれた時、薬を塗ってくれた時、トイレに連れて行ってくれた時、食事を食べさせてもらった時、飲み物を用意してくれた時、口腔ケアの時、服を着せてくれた時。と、それ以外にも、数々のシチュエーションで、「ありがとう」という言葉をいただくと思います。素敵な笑顔をいただくと思います。それは皆さまのケアの結果です。心から喜んでください。
ただ、その一方で、常に頭の片隅においてもらいたい意識があります。プロとして、その感謝をそのまま受け止めてよいか?その感謝は本当に心から心地よいと感じてくれている結果なのか?と。
改めて、我々が相手にする利用者様の状況を考えてみましょう。自由に動けますでしょうか?一人で生きることができるでしょうか?出来ません。生きていくのに必ず他人の手助けが必要です。パライソがたったひとつの拠り所なんです。好きに動けたら、好きに生きることが出来たら、パライソにずっといなくてもいいですよね?でもそれが出来ない。死ぬまでここにいるんです。それが老いです。職員の皆様にケアしてもらえなかったら生きていけないんですね。
じゃあどうしよう。職員の皆様に嫌われたくない。という心理が自然と働いてしまうとは思いませんか?嫌われてケアしてもらえなかったらどうしよう。冷たくあしらわれてしまったらどうしよう。無視されたらどうしよう。それはとても困ります。一人で生きていけない身からすれば、恐怖ですらあります。ですから、少し不快でも、少し痛くても、我慢しよう。黙っていよう。いつもありがとうと言う。いつも笑顔でいよう。そう思ってしまうのは人間の自然な心理だと思います。遠慮しないでくださいと言われたって無理だと思います。
でも、そんなの我々はまったくもって望んでいませんよね。心から心地よい毎日を過ごしてもらいたい。楽な日々を過ごしてもらいたいですよね。気を使ってほしくないですよね。
もちろんご利用者様がそんな辛い思いを持ってパライソで過ごしていると言いたい訳ではありませんよ。ですが我々はあくまでプロです。プロである以上、感謝の気持ちに喜びを感じるとともに、一方で常に自分を自分で律してケアの質を確認しなければいけません。
ですから、その感謝を我々はいい意味で疑わなくてはいけません。本当にそうか?気を使わせていないか?このケアは完璧と言えるか?常にご利用者様の言葉を疑い、自分のケアを反省してください。それがプロです。
そういった意味では、ご利用者が嫌味を言っていれば、文句を言っていれば、それだけ素直に生活できている証拠でもあるんです。いつも感謝しか言わないよりはずっと健全な関係性が出来ている証です。
いい意味で感謝を疑う。よろしくお願いいたします。
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