2020
06.05

「#Black Lives Matter」から感じたこと。

今日のパライソ

 

ここ数日のニュースでこの話題を目にしない日はないと思います。

アメリカでの出来事。黒人男性のジョージ・フロイドさんが白人の警察官に首を押さえつけられて亡くなった事件。この事件が黒人差別問題であると全米各地でデモが過激化しています。日本でも毎日ニュースに取り上げられていると思います。

Wikipedia

個人も企業もこの差別に対する運動の一環で#Black Lives Matter運動が起こっています。

また、ファッション業界を中心に「#blackouttuesday」と黒い背景の画像と一緒にSNS投稿する運動も起こっています。

WWDニュース

 

昨今の新型コロナによる不安な心境も相まって、今回の事件は、多くのアメリカの人々の中で溜まっていた毒が爆発したかの様な過激さに繋がった。なんて主張も出ています。

過激なデモの中には一般市民が路面店から商品を略奪する行為もあります。その一方で、デモに参加する別の一般市民がその略奪を防ぐために路面店の前に立ってガードに入る。あくまでも平和的に進めようと主張する動きもあります。

まだまだ収束とはいかない様ですが、一つの事件から始まったこの一連の動きは、アメリカでの差別問題の根深さが改めて浮き彫りになった出来事だと思います。

 

 

ここで私から差別問題について何か語るということはありません。

語れるほど、私自身は差別を経験してこなかったし歴史的背景も知らないため、責任を取れないからです。しっかりとした背景知識抜きにして語るべきテーマではないと思うためここでは避けます。

ただ、そうじゃないポイントでも、この事件から感じたことがあります。それは、

 

結局、白黒はっきりつける問題なんて、この世の中には限りなくゼロに近いのかもしれない。

 

ということです。当然、人の命を奪う行為を肯定は絶対的にできません。デモも略奪を良しとは思えません。事実としてそれを肯定することはできない。ということは前提としてあるものの、その事実の当事者自身を絶対悪と決めつけられるかと言えば、そこは正直グレーなのではと思うのです。

 

や、この考え自体亡くなった方のご遺族からしたら、略奪されたお店からしたら、たまったもんじゃないでしょう。絶対悪に間違いないからです。それを少しでも擁護するような意見は許せないでしょう。それもその通りです。

ただ、それは被害者視点で見ればそうですが、加害者視点で見た時に、やはり決め付けられない背景がそこにはあると思うのです。加害者ご家族の視点ではどう感じるだろうか、加害者の動機を探った結果、どう感じるだろうか、という話です。もしかしたら絶対悪とは言い切れない理由がそこにはあるかもしれません。

 

正義のヒーローは一般人からすれば、言葉のまま、正義のヒーローなんです。でもおそらく、悪役の子供から見れば、お父さんを殺した今世紀最大の悪者なんです。

 

また、今物凄い人気の漫画、「鬼滅の刃」でも、敵である鬼が出てきます。確かに多くの人を殺めたので悪に変わりはないのです。でも、その鬼も元は人間で、その人間がなぜ鬼にならなければいけなかったのか、その背景を知ると、必ずしも絶対悪とは思えない。

 

身近な経験で言えば「いじめ」もある意味でそうです。これも事実として許されるべきではありません。でもいじめた本人は実は家庭内暴力を受けていてその発散でしていた、実は別のいじめにあっていた。なんて話は珍しくありません。これもまた悪なんだけど、歯痒くも絶対悪とは言い切れないと思います。

 

悪はどこまでいっても悪でしかない。そう言えれば、どれほど楽だろうと思います。でも現実は、グレー。どの視点に立つかで、善悪は変わってしまう。だから正直、困るし、ものすごく悩む。楽じゃないですよね。

 

じゃあどうするのという話なんですが。とは言え、そこで思考を止めるのは違うと思います。グレーだよね。じゃあ善悪なんて考えたって意味ない。というのは社会の中で生きていく以上、やっぱり違う。例え当事者じゃなくてもそこはその都度、自分なりに考えていくべきで、何らかの答えを都度出すべきなんだと思います。

あ、これを他人にも押し付けるなんて気持ちは全くありません。あくまで私個人がそうやって生きたいと思うという話です。

 

グレーというどっち着かずのテーマにどう立ち向かうか。私はできるだけ全員がハッピーになる様に、そうなる可能性の方向に、と考えていきたいです。なんとまあ潔い綺麗事でしょう。え?そんなこと?そんな綺麗事はそもそもの論外。議題にすら上がらない思考。そう思うかも知れません。確かに、綺麗事だけでは物事は進みません。力もない。

でも、根幹にはこの綺麗事がブレないでありたいと思うのです。

 

冒頭のアメリカの事件の話に戻ると、略奪デモがある一方で同じデモでも平和的にいこう、略奪は間違っているから防ごう、という動きがあるんです。そこから改めて感じたのは、人間愛でした。確かに悲しい、酷いことをするのは人間です。でも一方で、素敵なこと、愛ある行為もまた人間から生まれるんですね。であるならこの世界の愛ある面を見て生きよう。そう思うのです。

 

そんな綺麗事だけじゃ生きられない。だとしてもそこを諦めてもいけない。そう思います。

 

世界は誰かの綺麗事から始まって作られていると強く思います。例えば企業だってそうだと思います。単なるお金儲けじゃなく、純粋に世界を良くしたいという綺麗事がスタートなんじゃないでしょうか。そしてそこにはやっぱり愛がある。

 

我々パライソもそうです。法人のスローガンとして「共に幸せ」を掲げております。みんな一緒に、ご利用者様も、ご家族様も、職員も、行政の方も、地域の方も誰一人欠けることなくみんな一緒に幸せになろう。という意味です。なんとも清々しいばかりの綺麗事ですよね。でも本気でこれを実践しようと日々働いています。

 

出した答えが時間の経過とともに間違いになる時もあります。そうだとしても、我々は都度答えを出すことでしか進んでいけません。であるなら考え続けた上で、愛ある選択ができる様になりたい。私はそう思います。

 

長くなりました。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 

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